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2010.12.31~四国旅行記…その3
さて、一波乱ありながらも無事に高知までたどり着いたとみちゃんです。
高知は乗り継ぎでの立ち寄りでしたが少し時間があるのでぶらついてみました。
というわけで「はりまや橋」です。
景色の画像はないんかい!って言われそうですが、光線状態があまりにもひど過ぎでお粗末すぎるので看板だけにしておきます。
土佐電を何本か撮影して駅に戻ります。
ここからは高松まで一気に移動です。
車内放送がいきなりアンパンマンで思わず脱力しそうになりながらも宿泊地の高松へと戻っていきます。
かつては我が地元名古屋市営地下鉄東山線で活躍していた250形と久々の再会です。
カラーリングこそ変われどかつての面影が残っていて懐かしくなりました。
同型車は長尾線でも走っていました。
かつて旧型車全盛時代には「私鉄電車の見本市」とまで言われたことでんですが、その片鱗は今でも失われてはいないです。
この日はこれにて移動を手仕舞いして、高松市内中心部をぶらぶらしてそのままホテルにチェックイン。
ゆっくりして次の日に備えることにしました。
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そして翌日。
まずは朝から高松駅で来る列車を撮影。
国鉄が分割民営化直前に四国電化と新生JR四国への置き土産として制作した121系電車。
国鉄最後の新形式電車であり、四国にのみ配置された車両です。
この頃はまだ更新化のはるか前で帯色こそコーポレートカラーの青になりましたがそれ以外はほぼ原型のままでした。
185系によるしおかぜ接続臨時特急宇多津行き。
岡山からのしおかぜに接続するために設定された臨時特急です。
しばらくすると高松運転所からうずしおが入線。
増結編成の上にお尻に2両なんかがぶら下がっています。
原色カラーの185系の正体は臨時特急やくおうじ号。
薬王寺の最寄り駅である日和佐まで運転される初詣臨時特急で徳島まではうずしおに併結されての運転です。
かつては急行やくし号として急行阿波に併結されていたりしたものですが、この当時は特急化され列車名もやくおうじと変更されて運転されていました。
高徳線は明日の最終日に乗るので今日は撮影だけ。
しばらく高松で撮影後、ことでんに乗って仏生山へと向かいます。
旧塩江線の廃線跡の引込線に留置されていた5000形。
仏生山のマスコット、デカ1。
構内外れの留置線にいた3000形。
工場裏手にいた1000形。
偶然でも拝めれば良しかな、と思ったら3両ともなんとか記録することが出来ました。
あとは走行写真を数カット撮影して一路琴平へ。
次なる目的地へと向かいます。
駅到着後改札を出てそのまま北へと向かいます。
なんか変わったものでもいないかな~くらいの気持ちで歩いていきます。
事前に知ってはいた保管車両ワラ1形トップナンバーがお出迎え。
これ今でもいるんでしょうかね…?
そして構内の外れにクハ111と併結された形で保管されていたフリーゲージトレイン第一次編成先頭車。
国内初の本格的軌間可変高速試験車でしたが所々の問題から後継編成にその任を譲り小倉工場からここへ流れ着いてきました。
結局その後になって解体されたようですが、当時は事前情報の仕込みすらせず、まさか姿が拝めるとも思っておらず、実写を見た瞬間に歩き疲れが一瞬にして吹っ飛ぶくらいテンション上がったのを今でも覚えてたりします。
適度に撮影してかつての浜多度津貨物駅の遺構が残ってないか周辺を見たもののさすがに時の流れか何も残っておらず再び多度津駅まで戻ることにしました。
ちなみに当時は坂出-宇多津間の予讃本線廃線跡や坂出臨港線の廃線跡もまだ比較的残ってたものですが、最近行った時にはもはや痕跡すらほぼ消えてしまっていました。
戻ってきた宇多津駅で休憩兼ねて構内留置中のキハ32やシャトル臨時特急のキハ185系、2000系などを撮影して日が暮れてきたこともあって高松へと戻ります。
当時は駅メモどころか位置ゲーすらやってないご時世なので行程がめっちゃゆとりだらけというなんとも贅沢な?移動行程です。
次回は四国最終日の模様でも書くことにします。
ご覧頂きありがとうございました。