2011年5月~首都圏へ

2011年の5月のGWに久しぶりに首都圏へ足を伸ばす事になりました。

首都圏へ行った目的は二つ。

一つはあの震災後の首都圏の現状を見てみたいということ。

そしてもう一つは、とある位置ゲー攻略のために小笠原諸島の父島に行っていた親友を竹芝桟橋でお出迎えするというものでした。

 

2011年5月3日。

 

ただ東京行くのというのも面白くないな、ということで名古屋市内~塩尻~立川~川崎~名古屋市内という一周乗車券を切ってもらっての出発。

 

名古屋から塩尻まではしなのに乗って快適な旅♪

 

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塩尻に着くと信州色の115系がお出迎えです。

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313系と並ぶ115系

当時は当たり前の光景でした。

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乗り継ぎの甲府行きを待っていたら回送電車がやってきました。

臨時列車「小野おんばしら号」の引き上げ回送です。

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全然狙ってもなかったのですがいきなりやってきてびっくりしました。

ちなみに同業者さんはゼロでした。

 

ここからは甲府乗り継ぎでまずは八王子まで向かうことにします。

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乗り換えの甲府駅構外に留置中のEF6437。

この日は上諏訪にもEF64牽引の工臨が居たと記憶してます。

 

八王子に着いてからは京王乗ったり橋本まで出てから小田急多摩線乗ったりして多摩地区をあちこちぶらぶら。

この日は西立川のホテルに泊まっておやすみになりました。

2011年5月4日

この日は朝から拝島へ向かい、それからなぜか西武線を乗り回してたりしてました。

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山口線レオライナー

軽便時代の山口線の面影は全くなくなってました(当然か…)

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確か練馬だったと思うけれど来た列車を適当に撮影。

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その後は東武東上線へと足を運んでました。

まだ8000系が池袋まで顔を出していた頃。

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50000系と初対面。

当時はまだ珍しかった記憶が。

 

一日中乗り回してこの日は都内で当時定宿としていた小伝馬町のホテルで泊まったのですが…

 

夜中に何度も地震で起こされました。

寝ていると普通にベッドがきしみ部屋の中が揺れてる。

落ち着いたか、と思ってまた寝ると少しして再び小刻みに揺れる。

そしてしばらくするとまた部屋が音を立てて揺れる…

余震とわかっていても不気味でほとんど寝付けなかった記憶があります…

2011年5月5日

竹芝で友人との待ち合わせにはまだ時間があったので軽く乗り回してから向かうか、ということで一路大宮へ。

ここから東武野田線にでも乗るかと思って自動券売機の前に立った瞬間、脚元から強烈な揺れ。

なんか宙に浮いているかのようななんとも言えない不気味な感覚の中で周りがガタガタ音を立てる異様な光景。

あとから調べたら震度4の余震だったのですが、揺れに身構えてるのは自分だけ。

周りの人たちは何食わぬ顔で歩いているのを見て「慣れってやつはこう言うことなのか」と考えさせられました。

 

なんとも言いようのない体験の後とりあえず時間つぶしに適当に乗って回り、待ち合わせの時間(おがさわら丸の入港時間に合わせて竹芝へ。

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こうやって見ると東京はあの震災以降もそんなに変わってないな、と。

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ターミナルで待っているとレインボーブリッジの下をくぐり抜けておがさわら丸がやってきました。

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父島から25時間かけての船旅を終えての接岸です。

 

このあと無事に友人と合流。

昼ごはんを食べてからその足て二人でさらに電車乗りつぶしへ(好きだねぇ…)

こちらは翌日から仕事なので名古屋へ帰る事になりましたが、友人はまだ一日休みがあるので京急などを乗り倒してから帰るよ~、とのことで横浜でお別れ。

その足で東海道を乗り継いで名古屋まで帰ってきました。

 

この時見た都内や近郊は一見それほど震災の影響を受けていないようにも見えました。

 

実はこの翌月に千葉と水戸へ出掛けたのですが、京葉線の車窓から見た浦安あたりの町並みは一見すると何もなかったように見えながら液状化現象のせいか電柱があちこち傾いていましたし、水戸では駅前のペデストリアンデッキが破断していて通行止めになっていたなど、震災の爪痕があちこちにまだ残っていたりしたのを今でも覚えています。

 

今日はここまで。

相変わらずまとまりのない記事ですがご覧頂きありがとうございました。