名古屋市営地下鉄名城線受信調査
どうも、とみちゃんです。
久々の更新になってしまいました。
(パスワード忘れたというオチですが💦)
さて、駅メモラーにとって攻略の最大の敵は何か?
個人的にはトンネル、そして地下鉄だと思うんですよね。
とりわけ愛知攻略に訪れたメモラーさんに立ちはだかるラスボスクラスの最大の敵…
ご存知の通り、この路線は環状線のため地下鉄攻略の強い味方(?)ルートビューンが使えません。
さらにGPS受信感度がかなり気まぐれで、位置飛びやら位置ロックやら泣かされたメモラーさんの声を結構聞いてたりします。
そこで今回、時間があったので実態調査をやってみることにしました。
とは言っても一周ぐるっと乗ってぺちぺち
するだけですが💦
当日の環境
11/18
天候 はれ
2631号車(先頭車)中央部付近乗車
乗車率50%
乗車区間 伝馬町→神宮西(左回り)
試験機材
iPhoneSE(第二世代)
iOS13.7
Wi-Fi 未接続(設定ON)
駅ロケサーチOFF
ぐるっと一周、約60分の旅?です。
見どころ?と言っても地下鉄なので何もなく、あっさりぐるっと回って終了です🥺
結果
どういうわけか今回はほぼGPSを拾えました。
神宮西○
西高蔵○
金山○
東別院○
上前津○
矢場町○
栄×(矢場町)
久屋大通○
市役所○
名城公園○
黒川○
志賀本通○
大曽根○
茶屋ヶ坂○
自由ヶ丘○
本山○
八事日赤○
八事○
総合リハビリセンター○
瑞穂運動場東×(総合リハビリセンター)
新瑞橋○
妙音通○
堀田○
伝馬町×(堀田)
正直予想外の結果になりました…
だからといって毎回同じレベルで取れるわけではないのであくまでも参考程度にしかなりませんが。
(右回りと左回りでも多分結果は変わる)
愛知攻略のヒントにでもなれば幸いです。
四国訪問で感じたこと
久々の更新でございます…まぁあまりネタが浮かばなかったというのがありましたが。
今回はこの盆休みに四国へ行った際に感じたことを記してみたいと思います。
今回の訪問は友人と二人。
プランは友人が練ったもので基本は「ただひたすら乗り回す」というもの。
観光は無し。
グルメもほぼ無し。
密を避けつつひたすら乗り回すという、まぁウチららしいプランでの四国島内一周。
結果的には徳島以南と伊予鉄道の一部、琴電を覗いてほぼ回ることが出来ました。
名古屋と高松の往復は18きっぷを利用。
四国島内はJR四国の企画きっぷである「四国満喫きっぷスペシャル」を利用。
WEB版と窓口版とありますが当日でも窓口で買えるので入手は簡単です。
購入時にアンケート記入が条件なのでこれをササッと書いてきっぷ入手。
この値段で四国島内のJR路線・JRバス・土佐くろしお鉄道と阿佐海岸鉄道が乗り放題な上に特急自由席も利用できるという非常にコスパに優れたきっぷです。
四国島内ではこのきっぷの恩恵を利用して特急列車を乗り回すことになります。
というか特急を利用しないと2日でここまでは回れません。
短区間でも特急が利用できるというのは本当にありがたいきっぷです。
前日に高松まで移動し、一日目は高松から松山・宇和島を経由して高知までのルート。
途中松山で伊予鉄に乗り、窪川から土佐くろしお鉄道を往復して高知までのプランですが、特急利用でスイスイ移動できます。
四国といえばなんと言っても振り子特急の天下。
そんな中でも画期的な機構を取り入れてデビューした2000系は今でも見劣りしないデザインと走行性能が魅力です。
そして最新式の2700系。
デザインも乗り心地もより進化したJR四国のフラッグシップカーという印象。
高松から松山までは8000系電車での移動ですが、こちらも素晴らしいデザインと走行性能で乗ってて気持ちの良い車両です。
そして二日目は高知から土佐くろしお鉄道を乗りつつ徳島を抜け高松から名古屋へ戻るルート。
こちらも四国島内は特急利用で楽に移動が出来ました。
さて…
実はここからがこの記事の本題になります。
四国には過去に盆や正月といった時期に何度も訪れており、いわゆる多客期の印象は「非常に混雑している」というイメージがあります。
特に18きっぷのシーズンは名古屋から高松の往復だけでも苦行に近いものがある感覚でした。
今年は新型コロナの影響で帰省の自粛という流れもあるもののGoToキャンペーンもあるからそれなりには混むだろうと思ってはいたのですが。
今回スタートからゴールまで、全列車座席確保できたのは予想外でした。
四国島内の特急は帰りに徳島から乗ったうずしおがそこそこ乗ってはいたもののそれでも定員の7割程度で、いつも混むはずのしおかぜや南風は定員の5割以下の乗車率という今までに見たこともないようながら空きぶり。
少なくとも多客繁忙期の南風などでこれだけのがら空きの状況は今まで見たことがありません。
極めつけが帰りに岡山-姫路間で乗った山陽新幹線。
東京行きののぞみ号がこれまた定員の5割程度の乗車率というものでした。
聞いていた話以上にいま鉄道輸送、それも中長距離拠点輸送は逆風が吹いている厳しい状況、というのをまざまざと見せつけられた感じです。
特に四国に関しては危機的状況というのが決して大げさではないというのが伝わってきました。
JR四国が手持ち資金ショートの危機と報じられたり、JR東海が初の赤字決算というニュースを耳にしてはいましたが、実際目で見て繁忙期でこの乗車率というのは鉄道会社としてはまさに危機的状況であるのだろうというのは間違いないところです。
移動する側から見れば「この時期に余裕で座れる」というのはありがたい話であるかもしれませんが、正直なところこれではこの先もきびしいだろうという感じが見て取れるのが現状と言える感じがします。
ご存じの方もいると思いますがJR四国はそういう背景もあるのか運賃・料金徴収に関しては本当にきっちりしています。
特急などでも停車駅の度に車掌がきっちり検札にまわり「不正乗車の防止」「特急料金等の取りこぼし」をなくそうとしているのが見て取れます。
ちりも積もればなんとやら…ではありませんがきっちりとした料金収受を徹底する傍らで様々な企画乗車券を打ち出して利用者確保にも努めています。
しかし肝心の「利用客不在」という状況はどうにもならないとしか言いようがありません。
新型コロナという「見えない敵」との戦いはまだ続くでしょう。
そして公共交通機関にとって「移動の制約」というのは収支に直結する問題です。
いつまで、どこまでこの戦いが続くかは誰にもわからないところではありますが、今のままで行くと近いうちに鉄道やバスを始めとした交通機関、そして観光地の事業などは「生き残りをかけて会社の体力・財力勝負」にならざるを得ないだろうと見ています。
我々鉄道好き・旅好きに出来ることは「本来ならどんどん利用してお金を落とす」ことなのでしょうが今はそれすらままならない状況です。
けれど四国という土地は本当に良いところです。
景色も素晴らしく食べ物もうまい。
鉄道好きの視点でいえばどの路線も見て乗って楽しい路線ばかりです。
何度行っても飽きない、また来たくなるそんな土地です。
今は忌まわしき新型コロナが一日も早く落ち着き、四国の鉄道、観光地に活気が戻ってくることを願ってやみません。
まとまりのない文章になってしまいましたが、とりあえず思ったことを書き留めてみました。
駅メモというゲームの自分なりのやり方
さて…前回は「駅メモ」プレイ開始からの流れをぐだぐだと語ってみたりしたわけですが…
始めてから数年間はこれと言ったプレイスタイルが確立してなかったんですな。
あちこち出掛けて赤新集めつつでんこのレベルを上げていく。
まぁ一つのルーチンワークみたいな感じだったわけです。
ところで駅メモには「でんこな話」というショートストーリーが実装されています。
実はうちはあまりストーリーを読まない人だったんですね。
ところがあるでんこに興味を持った時にそのでんこのストーリーを最後まで読んでみたわけです。
一通り読み終わって、ちょいと考えて、編成を組み直す。
その時からそのでんこは自分の中で「オンリーワン」になったまさに瞬間でした。
南郷にちなさん。
彼女の存在のおかけで駅メモのプレイスタイルが固まりました。
それからは新駅集めと並行して彼女とのお仕事回数の積み上げがメインのスタイルになりました。
最初の大きな通過点である「お仕事10000回」直前には赤新駅だろうとなんだろうとお構いなく彼女でチェックインしまくったのも今じゃ懐かしい思い出です。
称号が取れたときの嬉しさは半端なかった記憶があります。
その後も30000回、そして区切りである50000回目指してひたすら走り続けてました。
そしてそうしているうちに多くの皆さんと交流を持つことも出来ました。
本来こう言う位置ゲーというものは「椅子取りゲーム」の論理であり、本来なら叩き叩かれ斬って斬られてという展開は孤高の世界での戦いみたいな感覚になりがちなものです。
(少なくとも他の位置ゲーだとそういう感じになりやすいと思う)
しかしこの世界は違った。
毎日のように斬って斬られてを繰り返す地元の皆さんもどこか優しく、そしてそれが縁となってTwitterなどで交流を持てるようになったのは自分にとっては本当に大きな財産になりました。
にちなさんの存在、そして多くの皆さんの存在がなかったら途中で投げ出してたかもしれない。
自分の中で駅メモがゲームからライフログへと見方が変わっていったのもそういうものがあったからかもしれません。
そして一つの目標だったお仕事50000回も無事に達成することが出来ました。
次なる目標は…言わずとしれた「全駅制覇」
ハードルは高いけど、ひとりじゃない。
なんとかこれだけは達成したい。
そう思いながら日々ぽちぽちとやっているわけです。
ところで…
駅メモというゲームは基本的に規約さえ守ればゲーム進行上のルールがありません。
そして設定されたゴールもありません。
とにかく駅を集める、地元の札にひたすらこだわる、称号を取れるだけ取る、ひたすら火力を鍛え上げる、でんこの育成にすべてを掛ける、推しでんことの仕事をとにかくいっぱいする…
プレイスタイルは十人十色、千差万別です。
駅、スコア、称号、そして主役でもあるでんこの存在。
駅メモは恐らく他には類を見ない自由度の高い「ゲーム」だと思います。
退屈な日常に楽しみをくれた駅メモと運営の方々。
そしてこんなへっぽこマスターにお付き合いいただいてくれている多くの皆様に改めて感謝申し上げる次第です。
今日も相変わらずまとまりのない文章ですが…
最後までお付き合いありがとうございました。
駅メモというゲームの自分なりの生い立ち
どうも、なかなか更新しないものぐさとみちゃんです。
このブログでは何を主眼で書いていこうか、と開設当初から考えたりしてましたが、このあたりで今自分が主戦場としている「駅メモ」について書いていこうと思います。
なおここを見てくれている方々は恐らく自分のTwitterから見に来ていただけてるかと思いますのでゲームのシステムやら何やらと言う話はとりあえず置いときますw
これまで「しろつく」から始まりいろんな位置ゲーの世界を渡り歩いてきましたが、駅メモ開始後はそれまでやっていた位置ゲーはほぼ引退してしまいました。
駅メモ開始は2015年3月8日。
やたら出てくる広告に惹かれてインストールしたのがきっかけでした。
最初の印象は
「電車擬人化ねぇ…というか女の子がパンタグラフ背負ってるっておかしくね?」
「リンク云々っていうけれど全く相手に歯が立たねえじゃんw」
「課金しなきゃ一日12駅しかダメなんかいw」
その程度の印象だったわけです。
最初の頃は仕事での移動時にポチる程度のレベルで、連続ログインとか全く気にせず。
まさか5年後にここまでドップリになるとは当時全く想像もつかなかったわけです。
転機が訪れたのはしばらくして地元路線を何路線か制覇したあたりから。
このあたりから「乗りつぶし」という概念が頭に浮かぶようになりました。
赤新駅を潰していき路線を埋める。
これが楽しくなってきたわけです。
それでも当時は路線攻略はかなり大変なものでした。
何せ今みたいに飛び道具が簡単に使えない。
ロケアプリもまだ知らず、せいぜい用意されてるのはレーダーしかない時代、基本はまともに乗って潰すという方法でひたすら潰していきました。
球数稼ぎなら都市部が早いな、と思い首都圏や関西圏に何度も足を運びましたが「駅数の暴力」とでもいいますか…そうは簡単には話は行かない。
関西圏は当時まだ発売していたスルッとKansaiのフリーチケットを利用してとにかく乗りまくるという戦法。
関東はJRはまだしも私鉄もとにかくひたすら乗り回す、という戦法で訪問回数をかなりかけての挑戦でした。
最初に取ったマスオブは奈良。
それでも2016年11月とゲームスタートから一年以上かかってる有様ですw
その翌日に達成したマスオブ大阪で自己最高位になった時にはめっちゃ嬉しかった記憶が今でもあります。
あの時は達成後に立ち寄った天下茶屋駅でスマホの画面見ながらニヤついていた怪しいおっさんになってましたねw
最後の一駅をポチる瞬間、そして称号が落ちてきた時のあの達成感はまさにゲームしていて楽しいわ~と思えるものが今でもあります。
そのころはまだ「でんこの育成」というものはあまり関心がない頃でして。
ましてや「推しでんこ」なるものはいなかった時代でもありました。
むしろ育成がめんどい~wなんてこともあってほとんどをにころのスキルで育ててやってたという感があります。
そんなとみちゃんが初めて「推し」にしたでんこが…
みことちゃん!
え?あのでんこじゃないの?って声が聞こえてきそうではありますが…実は最初に推したのはみこっちゃんだったんですよ。
多分記憶の中でにころに続いて自力でカンストさせた最初のでんこでもあります。
それでもグラカン後には普通に他のでんこの育成とかやってたりしたもので…
そうこうしている時にある転機がやってきます。
ゲームのプレイスタイルすら変えてしまった運命的な転機です。
…と今日はここまで。
相変わらずのまとまりもない文章ですが、お付き合いありがとうございました。
2011年5月~首都圏へ
2011年の5月のGWに久しぶりに首都圏へ足を伸ばす事になりました。
首都圏へ行った目的は二つ。
一つはあの震災後の首都圏の現状を見てみたいということ。
そしてもう一つは、とある位置ゲー攻略のために小笠原諸島の父島に行っていた親友を竹芝桟橋でお出迎えするというものでした。
2011年5月3日。
ただ東京行くのというのも面白くないな、ということで名古屋市内~塩尻~立川~川崎~名古屋市内という一周乗車券を切ってもらっての出発。
名古屋から塩尻まではしなのに乗って快適な旅♪
当時は当たり前の光景でした。
乗り継ぎの甲府行きを待っていたら回送電車がやってきました。
臨時列車「小野おんばしら号」の引き上げ回送です。
全然狙ってもなかったのですがいきなりやってきてびっくりしました。
ちなみに同業者さんはゼロでした。
ここからは甲府乗り継ぎでまずは八王子まで向かうことにします。
乗り換えの甲府駅構外に留置中のEF6437。
八王子に着いてからは京王乗ったり橋本まで出てから小田急多摩線乗ったりして多摩地区をあちこちぶらぶら。
この日は西立川のホテルに泊まっておやすみになりました。
2011年5月4日
この日は朝から拝島へ向かい、それからなぜか西武線を乗り回してたりしてました。
軽便時代の山口線の面影は全くなくなってました(当然か…)
確か練馬だったと思うけれど来た列車を適当に撮影。
その後は東武東上線へと足を運んでました。
まだ8000系が池袋まで顔を出していた頃。
50000系と初対面。
当時はまだ珍しかった記憶が。
一日中乗り回してこの日は都内で当時定宿としていた小伝馬町のホテルで泊まったのですが…
夜中に何度も地震で起こされました。
寝ていると普通にベッドがきしみ部屋の中が揺れてる。
落ち着いたか、と思ってまた寝ると少しして再び小刻みに揺れる。
そしてしばらくするとまた部屋が音を立てて揺れる…
余震とわかっていても不気味でほとんど寝付けなかった記憶があります…
2011年5月5日
竹芝で友人との待ち合わせにはまだ時間があったので軽く乗り回してから向かうか、ということで一路大宮へ。
ここから東武野田線にでも乗るかと思って自動券売機の前に立った瞬間、脚元から強烈な揺れ。
なんか宙に浮いているかのようななんとも言えない不気味な感覚の中で周りがガタガタ音を立てる異様な光景。
あとから調べたら震度4の余震だったのですが、揺れに身構えてるのは自分だけ。
周りの人たちは何食わぬ顔で歩いているのを見て「慣れってやつはこう言うことなのか」と考えさせられました。
なんとも言いようのない体験の後とりあえず時間つぶしに適当に乗って回り、待ち合わせの時間(おがさわら丸の入港時間に合わせて竹芝へ。
こうやって見ると東京はあの震災以降もそんなに変わってないな、と。
ターミナルで待っているとレインボーブリッジの下をくぐり抜けておがさわら丸がやってきました。
父島から25時間かけての船旅を終えての接岸です。
このあと無事に友人と合流。
昼ごはんを食べてからその足て二人でさらに電車乗りつぶしへ(好きだねぇ…)
こちらは翌日から仕事なので名古屋へ帰る事になりましたが、友人はまだ一日休みがあるので京急などを乗り倒してから帰るよ~、とのことで横浜でお別れ。
その足で東海道を乗り継いで名古屋まで帰ってきました。
この時見た都内や近郊は一見それほど震災の影響を受けていないようにも見えました。
実はこの翌月に千葉と水戸へ出掛けたのですが、京葉線の車窓から見た浦安あたりの町並みは一見すると何もなかったように見えながら液状化現象のせいか電柱があちこち傾いていましたし、水戸では駅前のペデストリアンデッキが破断していて通行止めになっていたなど、震災の爪痕があちこちにまだ残っていたりしたのを今でも覚えています。
今日はここまで。
相変わらずまとまりのない記事ですがご覧頂きありがとうございました。
2011年5月~首都圏へ
2011年の5月のGWに久しぶりに首都圏へ足を伸ばす事になりました。
首都圏へ行った目的は二つ。
一つはあの震災後の首都圏の現状を見てみたいということ。
そしてもう一つは、とある位置ゲー攻略のために小笠原諸島の父島に行っていた親友を竹芝桟橋でお出迎えするというものでした。
2011年5月3日。
ただ東京行くのというのも面白くないな、ということで名古屋市内~塩尻~立川~川崎~名古屋市内という一周乗車券を切ってもらっての出発。
名古屋から塩尻まではしなのに乗って快適な旅♪
当時は当たり前の光景でした。
乗り継ぎの甲府行きを待っていたら回送電車がやってきました。
臨時列車「小野おんばしら号」の引き上げ回送です。
全然狙ってもなかったのですがいきなりやってきてびっくりしました。
ちなみに同業者さんはゼロでした。
ここからは甲府乗り継ぎでまずは八王子まで向かうことにします。
乗り換えの甲府駅構外に留置中のEF6437
2010.12.31~四国旅行記…その4
さて…少し間が空きましたが四国旅行記4日目、完結編です。
この日の行程は高松から甲浦まで行って帰ってくるというだけ。
そしてそのまま名古屋まで帰る、というあっさりとしたプラン。
今みたいに「赤新追いかけ回数稼ぎだギリギリまで粘るぜ~」なんてことは当時はまったくなかったんですね(当たり前だw)
まずは一路徳島へ。
乗り継ぎの合間に隣接する徳島運転所に休んでいるDCなどを撮影。
そして特急むろとに乗り継ぎ。
途中の日和佐までは満席でしたが同駅過ぎたら見事に空気輸送になってしまいました。
牟岐から普通に乗り継いで海部へ。
なるちゃーーーん。
ここから阿佐海岸鉄道に乗り換えです。
確か乗客は自分含めて数人。
終点甲浦に着くと折返しまでの時間、静かな空気の世界になりました。
今ではDMVのアプローチ工事が行われて様変わりしているようですが、当時は計画凍結となっていた甲浦以南への延長はこの構造では難しいだろうな、なんて思いながら周辺を散策してました。
そして近くにあった小さな神社で初詣。
何を祈願したかは…忘れちまったよw
折返しで来たルートを戻り予定では高松まで出て瀬戸大橋を渡って岡山経由で名古屋に帰る予定。
しかし待ち合わせ時間のあった徳島駅で高速バス乗り場を見つけて大阪までの高速バスに空席無いかダメ元で聞いたら「空席あり」とのこと。
しかも窓側!
ためらわずに大阪まで購入してバスを待ちます。
やってきたのは4列シートのバス。
途中鳴門まで客扱いして舞子から降車扱いの便。
この時点で隣は空席というのはありがたい。
まぁこの時期だから鳴門あたりで誰か乗ってくるだろうな、とは思ってましたね。
実際鳴門で乗車客がかなりあってバスは満席。
お隣にもお客が来たんですが…
相撲取りかと思うくらいのすっごい巨漢!
体がシートに収まらず、こっちのシートまではみ出してくる有様w
そこそこ快適なバスの旅がいきなり壁面に押し付けられるくらいの圧迫感と窮屈さに変わり果てるという想定外の恐怖!
とにかく体が動かせないくらいの窮屈さに耐えきれず舞子バスストップで途中降車。
そこからJR乗り継ぎで名古屋まで帰ってきました。
あれ以来4列シートのバスは苦手になりましたね…(と言いながらも中央道夜行バスとか利用したりしてますが)
その後も四国には何度か足を踏み入れてますが、駅メモ的には未だやり残したことだらけということもあって、コロナ騒動が終息したら真っ先にぜひ行きたいと思ってます。
というわけでこれにてだらだら四国訪問記打ち止めです。
今回もお付き合いありがとうございました!